野生の魅力_wildattraction

ジビエ女職人の雑記

「思い出の井川」の魅力再発見!!

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静岡県井川

 30年以上前に訪れた井川
当時、家でじっとしているより外の空気を吸っていたい私は、時間ができるとウロウロ出かけたものだった(笑)

ちょっと過去を振り返る

インターネットと言えば、PCvan(これとビッグローブがあった気がする)を電話回線でつなぐ!!

ダイヤルアップIP接続というもの。
接続設定も独学でなんとかつないだ(つなげた)状態

シャーシャーとなり続ける音が聞こえてきた時にはメチャ嬉しかったが、接続の電話代を考えながらそれなりに楽しんでいたのが懐かしい。PC98で一式揃えたが高い買い物なので、機種選定を含め購入を決意するまでに数か月はかかった。

ほしいと思ったものは衝動買いしてしまう私があの時ほど、時間と労力を費やした記憶は他に無いくらい慎重だった(笑)

 

そんな頃の旅行といえば、隔週の二日の連休は必ず西伊豆
るるぶ」をじっくりみながら、今日はココ・・とやってるうちに西伊豆の民宿は制覇。(隔週続ける為には普段は民宿、ゆとりがあればホテル)といった感じ。

 

残りの隔週は1日休み
日帰りで戻れるところに行くのだが、こちらは無計画で今日は、西に行こうとか今日は東へ行こうとかの出たとこ勝負(笑)

この道を登ればどこにつながっているのだろう?
車で山を登っていくと、茶畑に入り行き止まり(笑)
あらら・・なんていう事も多かった

おそらくどこの土地でもそうなのだろうが、自分の経験や知識と土地がつながる事がある。

私の小学生時代は読書家で図書館の本は、百科事典以外は読破した。
小学校の図書館なので、童話、民話、偉人伝、旅行記、むかし話などで読破というのはおこがましい(笑)

静岡県に住んで、ウロウロしていると伊豆には「ここは、百恵ちゃんの伊豆の踊子とかペルーが来た下田お七物語の舞台や熱海の金色夜叉貫一お宮とか・・

道路標識に小夜の夜泣き石!「え~!!」みたいな驚きがたくさんあり面白い。

今の時代は、ネットサーフィンができるくらいに情報がたくさんあるが、自分の興味があるものや調べたい事を検索すると思う。

私の小学生時代の図書館は、興味のあるものを読んで読むものがなくなると読んでないものを読んでいるうちに全部読んでしまった状態なので、正直キリがあったし、選ぶというより選ばれたもの(チョイスしておかれたもの)を読んだ。

今の子供達とは環境が違ったが、思い返すと私の本を読んだ経験がその後「ここがそうなんだ~」という楽しみに結びついた事が嬉しい結果となった気がする。


そういう出会い(?)が面白くて、外をうろうろドライブするのが好きなのかもしれない。子育て飴をなめながら「これがそうか~」と昔話に思いをはせながら・・・

私の記憶の中の井川

井川にはどんな経緯で行ったのか記憶がないが、道中「無人」やお土産売り場を除きながら、すすんだ大井川の向こう岸からこちら岸まで「鯉のぼり」がずらっと並んでいたので、多分5月だったのだろうと思う。

その日は、川根の茶畑を通り抜け井川にたどり着き、道中「裸の大将」の大井川鐡道を走る汽車を眺めた記憶がある。
道路の看板(標識)だよりのブラブラ旅の中、「井川大仏」を見つけた。「へ~こんなところに大仏があった~」とすごく驚いた。

興味ある看板を見つけたら、そこへ行き時々戻れなくてドライブ迷子になる時も多かった。看板を見つけて知ってる地名があるとホッとしたものだ。

るるぶの雑誌に載っていた赤石温泉白樺荘を見つけた。

現在ネットで調べた白樺荘は記憶のものとは全く違い、すごく綺麗になってる。(当然と言えば当然かも)

井川での超ビックリの記憶は「落石」。山を走っていると「落石注意」の看板は良くみるが、実際そんな事は滅多に無いと高を括っていたが、その道の石はプルプル動いていて上から小さな石がゴロゴロ落ちてきている。でっかいのが落ちて来たらどうしよう?というあの恐怖感が「井川は怖い」というトラウマになった。

それ以降、川根寸又峡まで行っても井川に足を入れた事が無い。

井川の女性とお友達になった

ふとした縁がきっかけで、井川の女性と知り合いになった。
知り合ってから5年になるが、電話では親しくしゃべる仲になっていたがまだお会いした事はなかった。

始めて井川と訪れてから30年が経過し、その間の井川との関わりと言えば、私のさばく鹿肉が夏になるとヘリコプターに乗せられて南アルプスの山小屋で使っていただいている事。(現在はリニアモーターカー)の工事で山小屋への一般客がいないため中断している)

それと井川の女友達から聞かされた井川の魅力。

井川のお友達と始めてお会いした

電話での彼女は、はつらつとした声で元気の良い女性だった。
お会いしてみると「はつらつ」「元気」に「キュート」が加わった素敵な女性だった。
素敵な人だろうと思っていたので違和感もなく楽しい時間を過ごせてうれしかった。彼女はたぶん私のことを「良くしゃべる、うるさいババァ」だと思ったかもしれない。でも目は心の底から笑ってくれていた。

命をいただく

私の今の職業は何の因果か、「有害駆除」や「管理捕獲」で捕獲された鹿や猪をさばいて食用にする事である。

 

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私は、害獣と呼ばれ捕獲された鹿や猪も命あるものなので、その命を丁寧に処理して食用とする事によって「山の命(里山の恵み)」と活用したいと考えている。

昔は、山に行けば山の幸として、地元で捕獲された鹿や猪が提供されていたが現在では、害獣被害がひどくなりそれを食用として提供するには、衛生面から保健所や農林事務所の指導のもと食肉処理場で処理されたジビエ肉でなければ提供できないとなっている。

奇跡の味を守りたい

「山村で暮らす人達のたんぱく源(山の恵み)となり地元で消費する。山の魅力を楽しむ為に訪れた人達をその土地の農作物や山肉(鹿や猪)でもてなす」というのがもともとの姿で、交通の便が良くなってくると、山のものも海のものもちょっと足を運ぶと手に入るし、ネットが普及した現在は、お取り寄せもできる時代になった。

「山には本来、鹿や猪の命をいただく山の文化があり郷土料理としての食べ方もある。」

現在は野菜の流通も盛んだが、その土地で育った野菜をその土地で育った鹿や猪のお肉と一緒に料理するのが本当のその土地でしか食べられない味であり文化だと思う。

これだけ進んだ文明社会の中、在来野菜が豊富に残ってる井川などはある意味、奇跡なのかも??

海のものは、今でも日本各地で海の郷土料理として色々食べれることができる。(もともとお刺身で食べる日本人はあまり変化がないかも?)
海の食材は、和食の文化とともに進歩していけたが、山の食材は?
「わらび」「ぜんまい」「きのこ」などは季節の恵みとして和食にかかせない食材となっている。

では、在来野菜は?私は農家ではないので育てる苦労は全く知らないが、美味しいものを食べる喜びは知っている。

丹精込めて作られた食材を丹精込めて調理された料理の美味しさも知っている。

でも、一部の地域で一部の人が守りつないだ在来野菜を食べれる機会は少ない。

そこにしか無い。そこでしか味わえない。その一つが在来野菜であるとしたら、守らなければならない日本人の文化ではないだろうか?
将来、そして未来の日本人が「あそこに行けば日本のルーツが味わえる」そう言える場所は、すでに一部の地域にしか残って無い。
それを守り続けなければ、消えてしまうかも?

美味しいものを食べた時、これを誰かに食べさせたいと思う時、自分の子や孫にそして子孫に・・
と思う歳に自分もなって来たのだろう。

若い時には考えもつかなかった。知らなかった。
私は鹿や猪をさばく事しかできないが、その土地の山の命を、その土地の在来野菜と語り継がれてきた技法をつかった郷土料理を残すことが出来たら・・

弥生時代の食事

弥生時代といえば食事の内容が大きく変化した時代と言われている。米や小麦、栗、ヒエなどを栽培するようになり穀物が主食になり、穀物のほかにもスイカやかぼちゃ、桃、梅、あんず、柿なども栽培されたべられていた。

その時代の種が代々受け継がれて残っているのだとすれば・・・
料理を再現することはできても、当時と同じものにはならないだろう。でも、当時の食材で再現する事ができたらどれほど素敵な事だろう?静岡県では弥生時代の食事の復活がされている。弥生時代の料理を再現できる人(再現した人)がいるからだ。

井川の在来種の柿は1~2cmほどの実がなり、干し柿にして食べるというが、まだ見たことが無い。でもそれが有るという事が重要で、有れば食べることもできる。

静岡県には、登呂遺跡があり日本全国にもいろいろな遺跡がある。
そこで当時の食べ物が食べれたらすごい体験ができる。

当然、当時の狩猟といえば鹿や猪、鳥、魚・・

だんだん私の夢が膨らんで来た気がする。

mt-fujiyama.jp

 

nanpusu.jp

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南アルプスと富士山

 

*1:

※有害駆除とは、農作物を荒らすなどの害獣を捕獲する事で市町村から依頼されて捕獲するもの

 

※管理捕獲とは、生態系保護などの理由で個体数調整の為に捕獲するもので、県から依頼されて捕獲するもの