肉の色が違って見える!
白内障の手術しました。
私の白内障は、かれこれ10年以上も前から徐々に進行しました。
数年前から知人に手術を勧められてたのですが、手術が怖い私は「近くに眼科が出来たらね!」と逃げ口上!
そうしてると出来ちゃったんです
歩いて5分ほどのところに「眼科!」
しかも白内障に定評のある有名な先生!
それでも怖くて思いきれず・・
私の症状は、いつも雲の中にいる感じで霞がかかってました。
不思議なのは、運転免許証の視力検査は裸眼でOK!
でも眼科で測ると「視力0.3」
黒地に白のマークは良く見えるけど、白地に黒は良く見えないのです。( ;∀;)
キャンプの星空も見えないし、逆光になると人はシルエットで誰だか認識できません。
「今日は月夜で明るいね」と言われても私には真っ暗闇!
「こんなに明るいのに!」と言われながら月夜の田舎の階段で転ぶ!その場所で翌日、近所の人が「ここにも猪が出た!」と言われショック!
夜のキャンプ場で「足元気を付けて」と言われた時はすでに遅し!「キャッ」両足側溝にハマってひざまづいてました!
手術を決心したのは、みんなに見える星空が私には見えなかった時!
ライトも無く、焚火のみの南アルプス!
みんなが流れ星をさがしている時にかろうじて見えたのは天の川だけ!
来年こそは、みんなと一緒に星空を見たい!
白内障の手術は、ちょっと怖い!
チクッとする程の痛み程度だが、見えてる!
時間は10分程度
右目を先にやって、一週間後に左目だったけど、右目が終わった時にあともう一回左目の手術と思うと憂鬱でした。
手術の順番は9番目で私が一番最後、私より前の人達は皆年上で、お爺ちゃん、お婆ちゃんも頑張ってるのだから私も大丈夫だと言い聞かせながら・・
手術中は、今からやることを説明しながら行われていくので怖いながらも安心できました
「はやく10分たて~」と思いながら・・
実際の左目手術は、手術前から若干目に痒みがあったのですが、手術中はちょうど痒いところに手が届くというか・・(笑)
私は花粉症なので、目が痒い時には目玉出して洗いたいと思う事がしばしばあり・・こんな感じかも?と思ってしまいました。
右目はレンズを入れる時に目玉を押される感じがしたけど、左目はそれを感じなかったのもラッキーでした。
手術後6日間は、顔も髪も洗えないのでドラックストアーでドライタオル(ドライシャンプー)を買い拭く程度。
夏場なら美容室でシャンプーしないとダメかも?
術後は霧の中から出て来たくらいのクリアさにビックリ!
話には聞いていましたがこれほどとは・・
赤、青、緑・・とにかく鮮やかです。
超驚いたのは、肉の色が違う!
クリアに見えた鹿肉の色は今まで見た色とは全く違ってました。
真空パックに入った冷凍肉も全く違う色には驚き!
ほとんどのものが想像通りの色だったけど、肉の色だけは全く違ったものでした。
今思う事は、五体満足とはよく言ったもので、大事にしなくてはいけないという事。
目のレンズが偽物になってしまった
今まで花粉症で目が痒い時にはゴシゴシこすっていたけど、これからはしっかり目を洗って、目薬さして大事にしよう。普段から保護メガネをかけて少しでも花粉に触れないようにしよう。目に限らず、自分の身体をもっと大事にしなくては・・
「思い出の井川」の魅力再発見!!
30年以上前に訪れた井川
当時、家でじっとしているより外の空気を吸っていたい私は、時間ができるとウロウロ出かけたものだった(笑)
ちょっと過去を振り返る
インターネットと言えば、PCvan(これとビッグローブがあった気がする)を電話回線でつなぐ!!
ダイヤルアップIP接続というもの。
接続設定も独学でなんとかつないだ(つなげた)状態
シャーシャーとなり続ける音が聞こえてきた時にはメチャ嬉しかったが、接続の電話代を考えながらそれなりに楽しんでいたのが懐かしい。PC98で一式揃えたが高い買い物なので、機種選定を含め購入を決意するまでに数か月はかかった。
ほしいと思ったものは衝動買いしてしまう私があの時ほど、時間と労力を費やした記憶は他に無いくらい慎重だった(笑)
そんな頃の旅行といえば、隔週の二日の連休は必ず西伊豆。
「るるぶ」をじっくりみながら、今日はココ・・とやってるうちに西伊豆の民宿は制覇。(隔週続ける為には普段は民宿、ゆとりがあればホテル)といった感じ。
残りの隔週は1日休み
日帰りで戻れるところに行くのだが、こちらは無計画で今日は、西に行こうとか今日は東へ行こうとかの出たとこ勝負(笑)
この道を登ればどこにつながっているのだろう?
車で山を登っていくと、茶畑に入り行き止まり(笑)
あらら・・なんていう事も多かった
おそらくどこの土地でもそうなのだろうが、自分の経験や知識と土地がつながる事がある。
私の小学生時代は読書家で図書館の本は、百科事典以外は読破した。
小学校の図書館なので、童話、民話、偉人伝、旅行記、むかし話などで読破というのはおこがましい(笑)
静岡県に住んで、ウロウロしていると伊豆には「ここは、百恵ちゃんの伊豆の踊子」とかペルーが来た下田、お七物語の舞台や熱海の金色夜叉貫一お宮とか・・
道路標識に小夜の夜泣き石!「え~!!」みたいな驚きがたくさんあり面白い。
今の時代は、ネットサーフィンができるくらいに情報がたくさんあるが、自分の興味があるものや調べたい事を検索すると思う。
私の小学生時代の図書館は、興味のあるものを読んで読むものがなくなると読んでないものを読んでいるうちに全部読んでしまった状態なので、正直キリがあったし、選ぶというより選ばれたもの(チョイスしておかれたもの)を読んだ。
今の子供達とは環境が違ったが、思い返すと私の本を読んだ経験がその後「ここがそうなんだ~」という楽しみに結びついた事が嬉しい結果となった気がする。
そういう出会い(?)が面白くて、外をうろうろドライブするのが好きなのかもしれない。子育て飴をなめながら「これがそうか~」と昔話に思いをはせながら・・・
私の記憶の中の井川
井川にはどんな経緯で行ったのか記憶がないが、道中「無人」やお土産売り場を除きながら、すすんだ大井川の向こう岸からこちら岸まで「鯉のぼり」がずらっと並んでいたので、多分5月だったのだろうと思う。
その日は、川根の茶畑を通り抜け井川にたどり着き、道中「裸の大将」の大井川鐡道を走る汽車を眺めた記憶がある。
道路の看板(標識)だよりのブラブラ旅の中、「井川大仏」を見つけた。「へ~こんなところに大仏があった~」とすごく驚いた。
興味ある看板を見つけたら、そこへ行き時々戻れなくてドライブ迷子になる時も多かった。看板を見つけて知ってる地名があるとホッとしたものだ。
るるぶの雑誌に載っていた赤石温泉白樺荘を見つけた。
現在ネットで調べた白樺荘は記憶のものとは全く違い、すごく綺麗になってる。(当然と言えば当然かも)
井川での超ビックリの記憶は「落石」。山を走っていると「落石注意」の看板は良くみるが、実際そんな事は滅多に無いと高を括っていたが、その道の石はプルプル動いていて上から小さな石がゴロゴロ落ちてきている。でっかいのが落ちて来たらどうしよう?というあの恐怖感が「井川は怖い」というトラウマになった。
それ以降、川根や寸又峡まで行っても井川に足を入れた事が無い。
井川の女性とお友達になった
ふとした縁がきっかけで、井川の女性と知り合いになった。
知り合ってから5年になるが、電話では親しくしゃべる仲になっていたがまだお会いした事はなかった。
始めて井川と訪れてから30年が経過し、その間の井川との関わりと言えば、私のさばく鹿肉が夏になるとヘリコプターに乗せられて南アルプスの山小屋で使っていただいている事。(現在はリニアモーターカー)の工事で山小屋への一般客がいないため中断している)
それと井川の女友達から聞かされた井川の魅力。
井川のお友達と始めてお会いした
電話での彼女は、はつらつとした声で元気の良い女性だった。
お会いしてみると「はつらつ」「元気」に「キュート」が加わった素敵な女性だった。
素敵な人だろうと思っていたので違和感もなく楽しい時間を過ごせてうれしかった。彼女はたぶん私のことを「良くしゃべる、うるさいババァ」だと思ったかもしれない。でも目は心の底から笑ってくれていた。
命をいただく
私の今の職業は何の因果か、「有害駆除」や「管理捕獲」で捕獲された鹿や猪をさばいて食用にする事である。
私は、害獣と呼ばれ捕獲された鹿や猪も命あるものなので、その命を丁寧に処理して食用とする事によって「山の命(里山の恵み)」と活用したいと考えている。
昔は、山に行けば山の幸として、地元で捕獲された鹿や猪が提供されていたが現在では、害獣被害がひどくなりそれを食用として提供するには、衛生面から保健所や農林事務所の指導のもと食肉処理場で処理されたジビエ肉でなければ提供できないとなっている。
奇跡の味を守りたい
「山村で暮らす人達のたんぱく源(山の恵み)となり地元で消費する。山の魅力を楽しむ為に訪れた人達をその土地の農作物や山肉(鹿や猪)でもてなす」というのがもともとの姿で、交通の便が良くなってくると、山のものも海のものもちょっと足を運ぶと手に入るし、ネットが普及した現在は、お取り寄せもできる時代になった。
「山には本来、鹿や猪の命をいただく山の文化があり郷土料理としての食べ方もある。」
現在は野菜の流通も盛んだが、その土地で育った野菜をその土地で育った鹿や猪のお肉と一緒に料理するのが本当のその土地でしか食べられない味であり文化だと思う。
これだけ進んだ文明社会の中、在来野菜が豊富に残ってる井川などはある意味、奇跡なのかも??
海のものは、今でも日本各地で海の郷土料理として色々食べれることができる。(もともとお刺身で食べる日本人はあまり変化がないかも?)
海の食材は、和食の文化とともに進歩していけたが、山の食材は?
「わらび」「ぜんまい」「きのこ」などは季節の恵みとして和食にかかせない食材となっている。
では、在来野菜は?私は農家ではないので育てる苦労は全く知らないが、美味しいものを食べる喜びは知っている。
丹精込めて作られた食材を丹精込めて調理された料理の美味しさも知っている。
でも、一部の地域で一部の人が守りつないだ在来野菜を食べれる機会は少ない。
そこにしか無い。そこでしか味わえない。その一つが在来野菜であるとしたら、守らなければならない日本人の文化ではないだろうか?
将来、そして未来の日本人が「あそこに行けば日本のルーツが味わえる」そう言える場所は、すでに一部の地域にしか残って無い。
それを守り続けなければ、消えてしまうかも?
美味しいものを食べた時、これを誰かに食べさせたいと思う時、自分の子や孫にそして子孫に・・
と思う歳に自分もなって来たのだろう。
若い時には考えもつかなかった。知らなかった。
私は鹿や猪をさばく事しかできないが、その土地の山の命を、その土地の在来野菜と語り継がれてきた技法をつかった郷土料理を残すことが出来たら・・
弥生時代の食事
弥生時代といえば食事の内容が大きく変化した時代と言われている。米や小麦、栗、ヒエなどを栽培するようになり穀物が主食になり、穀物のほかにもスイカやかぼちゃ、桃、梅、あんず、柿なども栽培されたべられていた。
その時代の種が代々受け継がれて残っているのだとすれば・・・
料理を再現することはできても、当時と同じものにはならないだろう。でも、当時の食材で再現する事ができたらどれほど素敵な事だろう?静岡県では弥生時代の食事の復活がされている。弥生時代の料理を再現できる人(再現した人)がいるからだ。
井川の在来種の柿は1~2cmほどの実がなり、干し柿にして食べるというが、まだ見たことが無い。でもそれが有るという事が重要で、有れば食べることもできる。
静岡県には、登呂遺跡があり日本全国にもいろいろな遺跡がある。
そこで当時の食べ物が食べれたらすごい体験ができる。
当然、当時の狩猟といえば鹿や猪、鳥、魚・・
だんだん私の夢が膨らんで来た気がする。
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ペット用の高級ディナー販売します!
みなさまのご要望にお応えして、当店ではペット向けの高級ディナーを販売します。
発表前なので詳しい事は公開後に・・
でもこの商品は本当に期待して良いですよ。
愛犬家のイタリアンシェフが、我が愛犬のために考え抜いた「愛犬の為の高級ディナー」なんです。
鹿肉を原材料とした数々のメニューなのですが、当店は選び抜いた最高級のお肉を準備します。
その他、たとえば・・リエットだったらお米にもこだわるなどすべての原材料を吟味した
愛犬が喜び、愛犬の健康を考えた「愛犬のための高級ディナー」
アスリート食・学校給食・食育・介護食などのコンサルタントのシェフだけにこだわり方には超ビックリです。
ここのピザやパスタはとにかく激うま!
(もちろん人間用ですよ)
始めて食べた時の「何コレ~」って思ったくらいの美味しさ!
オリーブオイルも小麦粉も調味料もすべてとにかくこだわり!
早く発表したくて、フライングしました。m(__)m
現在、すでに予約いっぱいなのでサイトで販売するかは思案中です!
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「鹿肉とタケノコ」
私の住んでいる藤枝市は、例年の有害捕獲頭数が800頭くらい。(鹿はほとんど獲れない地域です。)
土地柄、タケノコシーズンになると毎年「猪が早いか?人が早いか?」のタケノコ戦争が勃発!!
当然毎年イノシシに軍配!!
ここ藤枝市でジビエの処理場をやっている当店は、当然イノシシには困らないはずが・・・
去年10月18日に地元で豚ネツ(当時は豚コレラと言われていた)が発生し食肉として処理と販売ができない状態になってしまった。(´;ω;`)
豚は予防の為、ワクチンを打っています。
では、野生のイノシシはというと、えさとワクチンを混ぜたものを散布して食べさせ、予防させたいのですがあまり効いている様子もなく広がりをみせています。
ちなみに豚ネツの陽性がでると、その場所から半径10㎞の野生イノシシは食用にはできません。
ただ、豚ネツは人間には関係ないので、捕獲した人が自分で食べるのは問題ないのですが、当店みたいに処理して販売はしません。
当店には陽性がでる度に範囲を更新した地図が農林事務所から送られてきます。
当時の当店の対応についてはFacebookの10月19日に公開しています。
死亡したイノシシを発見したら・・
農林事務所に届ける⇒農林事務所から担当者が現地に赴き死んだ「と体」の処理(検体を採取して検査にまわし、と体は深い穴を掘って埋める)と消毒(石灰をまくなど)を行う
担当者はかなりの肉体労働でピークの時は疲れ果てて辛そう(実際つらいと思います)
静岡県で一番最初に豚ネツ陽性がみつかったのは、ここ藤枝です。ちかぢか静岡県にも来るかも?とは思っていたけど、まさか県のど真ん中の藤枝市だとは、かなり驚きました。
現在範囲はじわじわ広がって、範囲外からうちに入るイノシシもだんだん遠方になってきました。
農林事務所の対応は現在も続いていますが、一番最初の発生源地域では今年の2月末以降は届けもなく絶滅(?)
今年のタケノコ戦争は人間の不戦勝?
実際、里山の鹿や猪の被害農家は悲惨です。
「今年またカボチャやられたら農家辞める」「シイタケをサルにやられた」とか・・
サルはシイタケの軸しか食べない!(雑学)
ネットで囲おうが、電柵つけようが被害は減らない!
頭が良いというか、学習するんです。
「だったらスイカならスイカ1個で満腹になってくれれば良いのですが、食べ散らかしてしまう」
よく害獣による農家の被害金額・・とか発表されてますが、あの数字は実際に農家を営んでる人の被害なので、害獣のため廃業した人の金額は上がって来ないんです。
ここ藤枝はタケノコの名産地です。タケノコは土から出てくる前に掘ったものが一番美味しいのですが、イノシシは鼻が利くので美味しいところを食べてしまいます。
しかも体重あるから掘り散らかしたところはグチャグチャ!
昔は山の食べ物が無くなり、民家に下りてくるようになったと言われてましたが、最近は「おいしいから食べる」と言われるようになってます。
うまい味を覚えた!
一般的に世間では、農作物を荒らす害獣だから被害を抑える為に捕獲しなくては!と言われてますが、被害が無くなるまで捕りつくせるような数ではありません。捕獲しても生まれます。鹿は個体数調整の為の管理捕獲も行われますが、調整はそう簡単では無いのが現実です。
害獣駆除はどのようにして行われる?
畑を荒らされたり被害が出たら市役所に届ける
⇒市役所から捕獲依頼を出す(猟友会だったり捕獲体だったり捕獲の許可を持ってる団体または個人)
⇒捕獲を依頼された団体(または個人)が現地に罠をしかけ捕獲する
上記が一般的な手順なんですが、市が年間捕獲頭数を決めて依頼しているのがほとんどです。農家が地元のJAにお願いしてJAから市へ申請する事も多いです。
私は、文章も上手に書けないし上手に伝える事も下手なので、私のブログを見て興味をもっていただけたら「害獣」「被害」「捕獲」とかで検索してみてください。
私が書くブログで少しでも皆さんがジビエに興味をもってくれて現状を正確に知りたいと思っていただけると嬉しいです。
そして、害獣と呼ばれ駆除の対象と呼ばれてるシカやイノシシが食肉となった時、それがどれだけ優秀(体に良いなど)な肉なのかも知ってほしいと思ってます。
そしてその肉がどれだけ美味しいのか?
クサイと言われる事があるのはなぜか?
現場での出来事などをブログに書いていきます。
「クサイ肉は、牛だろうと豚だろうと鳥だろうとクサイ!」
「シカだってイノシシだってクサイ肉はクサイ」
それには「その肉がなぜクサかったのか?」の理由があります。
その理由なども書いていきたいと思います。
この仕事を素人から始めて7年目、その7年間「え?」とか「え~~~」とか私が驚いた事やお客様が驚いたエピソードとかも書きます。
今日は美味しいタケノコをいただいたので、手元にあった鹿肉と一緒に「炊き込みご飯」「味噌汁」「タケノコと鹿スジ肉の煮物」を作りました。
普通の家庭料理です。
美味しいジビエを食べさせていただけるお店などもブログ紹介していきます。